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バラの名所、旧古河庭園を散策🌹西洋庭園と日本庭園を一挙に楽しめます🌹

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東京都内のバラの名所である旧古河庭園を散策に出かけました。

バラの満開時期は過ぎていましたが、まだまだ色とりどりの綺麗なバラを観賞することができました🌹

天気も良く青空の下で、洋館とバラの西洋庭園はヨーロッパを旅した気分にさせてくれました。

新緑眩い植え込みを進んで行くと、明るい西洋庭園から景色が一変して、静かな日本庭園へ。

旧古河庭園は、西洋庭園と日本庭園を一挙に楽しむことができるおすすめスポットです。

 

旧古河庭園

旧古河庭園とは

♣旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)は、東京都北区にある都立庭園。
♣1919年(大正8年)に古河虎之助男爵の邸宅として現在の形(洋館、西洋庭園、日本庭園)に整えられた。
♣現在は国有財産であり、東京都が借り受けて一般公開している。
♣1956年(昭和31年)4月30日に都立旧古河庭園として開園。
♣2006年(平成18年)1月、国指定文化財(名勝)指定。
♣東京のバラの名所として親しまれている。

洋館

 

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ジョサイア・コンドル最晩年の作で、大正6年5月に竣工。
躯体は煉瓦造、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)の野面積で覆われ、屋根は天然ストレート葺き、地上2階・地下1階となっている。
♠大正12年9月1日に発生した関東大震災では約2千人の避難者を収容し、虎之助夫妻が引き払った大正15年7月以降は貴賓の為の別邸となった。
♠昭和14年頃には後 に南京政府を樹立する国民党の汪兆銘が滞在し、戦争末期には九州九師団の将校宿舎として接収され、また戦後は英国大使館付き武官の宿舎として利用された。(東京公園文庫「旧古河庭園」より)

 

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西洋庭園

 

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ジョサイア・コンドル設計で、左右対称の幾何学模様の刈込のフランス整形式庭園と、石の欄干や石段・水盤など、立体的なイタリア露壇式庭園の技法を合わせバラと洋館と調和した絵画的な景観美となっている。

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日本庭園

 

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小川治兵衛作庭で、心字池を中心に枯滝・大滝・中島を配している。
♠冬のマツの雪吊とこも巻・ソテツの霜除は風物詩となっている。
♠夏の大滝の水音と秋の紅葉もおすすめ。

心字池

 

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♠「心」の字に似せて造った池で、日本庭園の中心。
鞍馬平石や伊予青石などで造られ、「船着石」がある。
♠ここは池を眺めるための要となる所で、正面には「荒磯」、雪見燈篭、枯滝、石組、そして背後には築山が見られる。

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茶室

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♠京都に多く関東では珍しい崩石積と庭門で仕切られた茶庭の中に、茶室がある。
♠春と秋のみ、抹茶を出しており、お茶席利用のかたのみ入室可能。
♠問い合わせ先:(公財)大谷美術館 TEL3910-8440

枯滝

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♠水を使わないで山水の景観を表現する「枯山水」の道具立ての一つが枯滝。
♠心字池の洲浜の奥の渓谷に、御影石や青石、五郎太石などで造られている。

大滝

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♠10数mの高所から落ちる滝。園内のもっとも勾配の急な所をさらに削って断崖とし、濃い樹林でおおって深山の渓谷の趣をだしている。
♠曲折した流れから始まり、数段の小滝となり最後は深い淵に落ちるという凝った造。以前は井戸を水源にしていたが、水源が枯渇し、現在は井戸水と池水の循環でまかなっている。

 

深山の境

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♣日本庭園への入口はシイを主体にした濃い植込で、明るい洋風庭園とは雰囲気が一変。さらに奥は、シイ、モチノキ、ムクノキ、カエデなどで構成され、この庭園で一番深い植込になっている。周りは渓谷でえぐられ、深山幽谷の観を呈している。

旧古河庭園の歴史

創建

明治20年代、政治家・陸奥宗光が当地を購入し別宅とする。明治38年、宗光の次男・潤吉が古河財閥創業者である古河市兵衛の養子(2代当主)となったため、古河家に所有が移った。当時の建物は現存しない。
1914年(大正3年)、古河財閥3代目当主の古河虎之助(市兵衛の実子)が周囲の土地を購入し、9,470坪を古河家の本宅用として、整備を開始した。
1917年(大正6年)5月、西洋館と洋風庭園が竣工。洋館と洋式庭園は、イギリス出身の建築家、ジョサイア・コンドル(他に旧岩崎邸洋館鹿鳴館、ニコライ堂など)により設計監理された。
さらに虎之助により、大正8年(1919年)、日本庭園も竣工し、現在の形となった。日本庭園は近代日本庭園の先駆者・京都の庭匠「植治」こと七代目小川治兵衛(他に京都無鄰菴、平安神宮神苑、円山公園など)により作庭された。

創建当時の古河家

古河財閥の創始者、古河市兵衛は奉公人から商才で出世し、足尾銅山に投資し「銅山王」と言われた。しかしその背後には足尾鉱毒事件や激しい労働争議などの問題を抱えていた。市兵衛には当初子がなかったので、二代目に陸奥宗光次男、潤吉を養子に迎えた。古河潤吉は1905年(明治38年)に古河鉱業会社を設立し社長になり、副社長に原敬を迎え合理化を計るが、同年、35歳で病没する。
ところで、市兵衛には1887年(明治20年)、側室との間に実子、虎之助が生まれていた。慶應義塾普通部を経て米国コロンビア大学に留学していたが、潤吉死去の報を受け帰国し、古河家第三代当主となる。社業は第一次世界大戦による好況で急成長し、1917年(大正6年)には古河銀行を設立するなど経営の多角化をすすめ、「古河財閥」の基盤を確立した。西ヶ原の邸宅が現在の形になったのはこの時期に当たる。

関東大震災の救済活動

1917年(大正6年)、虎之助夫妻は西ヶ原の新居に本邸として住み込んだ。 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災が起こる。西ヶ原の古河邸はほとんど被害を受けなかった。しかし都心や下町方面から避難者が押し寄せ、正門前には群衆がたむろした。虎之助はこれを見て、門を開き、邸内を開放した。さらに本館も開放し医師を動員し負傷者の治療を行い、「滝野川救療所」として翌年3月まで活動した。また、庭園内の温室も取り壊し、バラック住宅86戸を建造し避難民524人を収容した。

牛込若松町への転居

関東大震災前の1919年(大正8年)秋には足尾銅山に労働争議が起こり、坑夫の家族が大挙して西ヶ原の本邸に押しかけ、直訴するという事件があった。虎之助はこれに対し「惻隠の情」が起こったと述懐している。(「古河虎之助伝」)さらに、1921年(大正10年)には養子・市太郎が急死したことをきっかけに、信仰に入る(詳細不詳)。関東大震災における救済事業もその信仰心の発露であった。こうした心境の変化により、1926年(大正15年)、虎之助は贅沢な西ヶ原の屋敷から質素な牛込若松町に転居したのである。以後、西ヶ原邸は、会社経営の内外商客接待のための迎賓館とされた。

昭和の激動

1931年(昭和6年)、虎之助は維新の元勲、西郷従道の孫、従純を養子に迎える。満州事変が勃発すると、軍需産業が拡大し、1938年頃、古河財閥は空前の活況を呈する。 日中戦争が進行する1939年(昭和14年)の一時期、虎之助は軍部の要請により、南京国民政府設立前の汪兆銘を西ヶ原邸にかくまった。古河邸内部には忍者屋敷的な秘密構造もあった。

そうした中、1940年(昭和15年)、虎之助は「よう」(皮膚病の一種)を病み、54歳で没する従純は37歳で古河財閥の四代当主となる。
太平洋戦争末期に西ヶ原邸は陸軍第9師団の連隊本部将校宿舎として接収される。また、当主従純も応召する。東京大空襲による被害は建物、庭園ともに免れた。

終戦後は1952年(昭和27年)まで連合軍に接収される。 この間、英国大使館付武官の宿舎とされたという記録が散見されるが、サンフランシスコ平和条約(1951年締結、1952年発効)以前、日本は独立国として承認されておらず、従って英国の大使館は置かれないと考えられるので、誤りである可能性が大きい。

都立公園に

1946年(昭和21年)6月、古河家は占領軍の財閥解体に伴い財閥家族に指定され、生活費まで認許を受けるような処置を受ける。さらに9月には公職追放により、会社経営に参画できなくなる。1947年、西ヶ原邸は財産税等の物納で国有財産となる。昭和27年に占領軍による接収は解除されたが、大蔵省の管轄となる。古河家へ払い下げの動きもあったが不調に終わった。
一方、地元東京都や北区からは旧古河家の庭園を公園化してほしいという強い要望が出された。こうした要望に応えて1955年(昭和30年)4月、大蔵省は、東京都に貸し付けることを決定した。こうして、約一年の整備を経て、1956年(昭和31年)4月30日、「旧古河庭園」として都市公園として開園した。しかし、貸付の対象は土地、および付属物に限られ、建物は払い下げ関係者との係争が決着せず、含まれなかった。
洋館等の建物は、その後約30年間放置された状態で「お化け屋敷」と言われるほど荒廃が進んだ。1981年刊行の北村信正「旧古河庭園」には洋館は「きづたに覆われている」とあり、蔦に覆われた洋館の写真も掲載されている。1982年(昭和57年)に東京都名勝の指定を受けると、それから1989年(平成元年)まで7年をかけた修復工事が行われ、現在の状態まで復元された。
2006年(平成18年)には、大正時代初期の形式をよく留める庭園が評価され、国の名勝に指定された。(ウィキペディアより)

基本情報・アクセス

【開園時間】
午前9時~午後5時
(入園は午後4時30分まで)

【休園日】
・維持管理の都合上、例年12月~2月に3日ほど、午後のみ休園。
・年末・年始(12月29日~翌年1月1日まで)

【入園料】
一般   150円
65歳以上 70円
(小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)

詳しくはこちらから
東京都公園協会公式サイト

【アクセス】
〒114-0024 東京都北区西ヶ原1-27-39

・JR上中里駅 徒歩7分
・東京メトロ南北線西ヶ原駅(N15出口) 徒歩7分
・JR駒込駅 徒歩12分
・都電荒川線飛鳥山停留場 徒歩18分
六義園から徒歩で訪れる場合はJR駒込駅前を縦貫する大通り(本郷通り)を北へ進み、20分ほどの距離にある。また、旧古河庭園より飛鳥山公園へは前述の本郷通りをさらに北上して徒歩10分強の距離。

 

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ライター紹介

natty

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私は、旅大好き・冒険大好きな超アクティブおばちゃんです。
「発見・出会い・刺激」を求めて、全国どこにでも飛んで行きます。
基本はきままな一人旅。時には旅友と一緒に女子旅に出かけたり。
旅に出る方も、また、なかなか出かけられない方も、このブログで一緒に旅を楽しんでいただけたら嬉しいです。

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