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三浦半島最南端『城ケ島公園』へ日帰りドライブの旅!風光明媚な岩礁が美しい公園!

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三浦半島の最南端に位置する城ヶ島。
都心から横浜横須賀道路・三浦縦貫道を通り城ケ島までは約1時間余り🚙
城ヶ島大橋を渡り、城ヶ島の東半分を占めるのが、「城ケ島公園」です。
「城ケ島公園」の展望台からの眺めは360度の大パノラマ!
房総半島・大島・富士山を眺めることができるビュースポットです。
公園の西、外洋に面したあたりでは、荒波が作り出した海蝕崖がみられます。
ここは、県指定天然記念物のウミウ・クロサギの生息地だそうです。
城ヶ島は、風光明媚で自然が作り出した芸術を感じさせてくれる島でした。

 

神奈川県立「城ヶ島公園」

おすすめポイント

三浦半島最南端、城ヶ島の左端に位置し、気候温暖、自然植生を保存した緑と、太平洋の怒涛によって刻まれた岩礁が美しい公園
公園からは房総半島をはじめ、相模湾、伊豆大島、伊豆半島、富士箱根連山、丹沢山塊の大パノラマを眺望できる
厳冬のころから咲き始める約30万本の八重咲きのスイセンの名所
駐車場のほぼ南側直下には、太平洋に面する高さ約30m、幅約300mの断崖があり、ウミウ、ヒメウ、クロサギの生息地になっており、県の天然記念物に指定されている。
ウミウ展望台からは鳥たちの姿を遠望することができる。
近くには「城ヶ島の雨」で知られる北原白秋の詩碑馬の背洞門城ヶ島灯台があり、散策、磯遊び等、四季を通じて楽しむことができる。

公園風景

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強風のため北側に傾いて生えている松

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ハマカンゾウが咲いています。

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展望台からは360°の大パノラマ!

房総半島・大島・伊豆半島・富士山を眺めることができますが。
今日は、残念ながら富士山は見えません。

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右手の尖がっているのは「鋸山」です。

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かすかに「大島」がみえます。

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「安房埼灯台」

島東端の安房ヶ崎にある灯台。標高数m の岩場に建つ。
烽火台が島西端に移動された後、安房ヶ崎には長らく灯台のない時代が続いた。しかし、当地周辺も遠浅の岩礁地帯であり、通航に危険を伴うことに違いがなかったため、地元の陳情を受けて1962年にようやく灯台が設置された。
塔体中央にくびれを持ち、灯台らしい姿の城ヶ島灯台とは大きく異なる印象を受ける。海面に近い岩場に建つため、常に波飛沫を受けている。

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「ウミウ展望台」

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「馬の背洞門」

馬ノ背洞門

侵食によって岩がメガネ状に繰り抜かれたアーチ状の岩(海食洞門)で、赤羽根崎の突端にある。1923年以前は洞門下を小船で通航できたが、関東地震による隆起で陸化した。地震による隆起現象を今に伝える存在である。幅が狭い上に既に亀裂が入っており、崩落の可能性があるため上部を歩くことは禁止されている。

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トンビとひまわり

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公園情報・アクセス

所在地
〒238-0237 神奈川県三浦市三崎町城ヶ島

主な施設
しおさい休憩舎、緑陰広場、ピクニック広場、うみのね広場、展望休憩所(2ヵ所)、展望台、ウミウ展望台、トイレ

駐車場
利用時間
4月~9月 : 8時~19時
10月~3月 : 8時~17時
利用料金
一日 普通車 450円
二輪車 100円
大型車 1000円(城ヶ島公園第2駐車場のみ)
※障がい者手帳を提示されると料金が免除されます。
※1台につき20円の緑化協力金の寄付をお願いしています。
収容台数
第1駐車場(有料) 106台
第2駐車場(有料) 92台(バス駐車可)

アクセス
電車
⊡京急三崎口駅から「城ヶ島」行きバス20分「白秋碑前」下車、徒歩5分

⊡横浜横須賀道路「衣笠IC」から三浦縦貫道路、国道134号線、県道26号線を経て、城ヶ島入口交差点を左折、城ヶ島へ

問い合わせ
神奈川県立城ケ島公園管理事務所  TEL 046-881-6640

 

城ヶ島エリアについて

ウミウが生息する自然と歴史の宝庫。身近なリゾート地それが城ヶ島です。
三浦半島の最南端に位置する城ヶ島。青い海や入り組んだ湾など自然のままに残るダイナミックな景色の景勝地として知られる。馬ノ背洞門では自然の神秘的な力を感じ、ウミウ展望台では美しく雄大な景色と、ウミウの大群を遠くに眺められる。双眼鏡を持って出かけてもよいだろう。また海南神社や白秋詩碑、城ヶ島灯台など、至るところに古くからの歴史が刻まれている。目の前に広がる大海原や緑に囲まれた絶景と、歴史が織りなす調和は城ヶ島ならではの魅力である。秋から冬の空気が澄んでいる時は、遠くに富士山も望める。潮の香りを感じ、涼やかな秋風を浴びながら、じっくりと歩いて満喫したい。(三浦市観光協会HPより)

城ヶ島概要

風光明媚な三浦半島の情景を凝縮したような景観で知られる、鎌倉時代以来の景勝地である。漁業、軍事、交通、文学に深く関わってきた多面的な歴史を持っており、大正時代に北原白秋の『城ヶ島の雨』(後述)が評判を呼ぶと、ロマンの島として全国に名を知られるようになった。大正末期から終戦までは東京湾要塞の一部として砲台が存在したが、戦後に「城ヶ島公園」として開放された。現在は磯釣、磯遊びに適する行楽地として知られる他、三崎と共に海を囲み、遠洋漁業基地三崎漁港の一角を成す。
三崎との距離が約500mと近いため、歴史的にも三浦三崎の一部と言える存在である。かつては三崎仲崎岸壁より出ていた渡し舟が唯一の渡島手段であったが、1960年に城ヶ島大橋が開通すると三崎との一体化は一層進行した。

島名の由来

古代~中世までは「尉が島」「尉ヶ嶋」等と称され、「城ヶ島」と呼ばれるようになったのは中世以降とされる。
「城ヶ島」となった由来・時期は諸説あり、
尉(律令制度の役職)という者が住んでいたので尉ヶ嶋と呼ばれていたが、源頼朝が「城ヶ島」に改めた(『三浦郡神社寺院民家並古城旧跡』)
戦国時代に房総の里見義弘がこの島に砦を築いた頃に「城ヶ島」と呼ぶようになった(村井弦斎『桜の御所』)
源頼家が遊覧した際、「尉」を「城」に改めた(『俳諧三崎志』)
などがある。
このうち里見義弘にちなむとする説は明治時代の観光パンフレット「相州三浦半嶋案内」でも紹介されており、かつては多くの人が島名の由来を知っていたと思われるが、現在では地元でも知る人が少なくなった。

城ヶ島の気候

黒潮の影響で冬でも温暖な太平洋岸気候で、海からの風が常に吹いている。暴風時には太平洋岸は非常に激しい海象となり、人を全く寄せ付けなくなる。翻って三崎側の海面は本島が天然の防波堤として機能するため、比較的穏やかである。このことが三崎漁港を古来から避難港、風待港として天然の良港たらしめている。

城ヶ島の地質

島の東西で岩質が異なり、東部は初声層(約400~300万年前に堆積したスコリアと軽石質砂礫からなる凝灰岩)、西部は三崎層(約1,200~4,000万年前に堆積した凝灰質シルトとスコリア質凝灰岩の互層)から成り、島のほぼ中央に断層が通る。度々発生する大地震によって隆起を繰り返したためか、岩礁には褶曲等の地質学的に貴重な露頭が多く、コツコツと岩石を叩く地質学者や学生の姿がよく見られる。日本の地質百選選定委員会(事務局:特定非営利活動法人地質情報整備・活用機構、社団法人全国地質調査業協会連合会)による「日本の地質百選」にも選ばれている(2007年)。

城ヶ島の地形

標高30m程の平坦な台地が大部分を占め、沿岸部で急激に海に落ち込んでいる。海岸は島の東西端部に岩礁地帯が広がり、所々に砂浜がある。太平洋側の赤羽根崎より東側は険しい海食崖が発達している。元来、沿岸部に平坦な場所が殆どない地形である。

城ヶ島の植生

樹木は北岸に集中して生えている。海風が強いため、南岸の崖には樹木が殆ど生えておらず、島の台地上の樹木は北側に傾いて生える。スイセン、ハマユウ、ハマナデシコ、ハマゴウ、イソギク、アシタバ等の海浜植物が自生する。台地上には人の背丈を遥かに越えるハチジョウススキが密生しており、眺望が効く場所は限られる。

文学・音楽

北原白秋

詩人北原白秋は、1910年に三崎を初訪、紆余曲折の後の1913年、城ヶ島遊ヶ崎対岸の三崎町向ヶ崎(むこうがさき)にあった異人館に翌年まで住んでいた。三崎居住期にも詩歌をノートに書き溜めており(三崎ノート)、その成果は1915年に歌集『雲母集(きらら集)』として発表している。
白秋は三浦三崎、そして城ヶ島を生涯愛した。1937年には三崎小学校、三崎実科高等女学校(後の県立三崎高等学校、2004年廃校)の校歌を作詞している。また、白秋が生前に歌碑建立を許したのは城ヶ島と三崎の見桃寺のみと言われる。
特に、1941年11月2日に行われた見桃寺の歌碑は、除幕式に白秋本人が参列した唯一のものである。

『城ヶ島の雨』は、白秋が三崎滞在中の1913年に演出家島村抱月の依頼で作られた。島村は自身の主宰する芸術座の音楽会で発表するオリジナル曲のために白秋に作詞を依頼、作詞後すぐに梁田貞によって曲が付けられ、1913年10月30日、東京有楽座にて梁田自身の独唱(ピアノ:松平信博)で発表された。附曲された白秋の詩としては第一号である。城ヶ島や三崎の風情を詠っており、奥田良三が吹き込んだレコードが全国的にヒットすると、城ヶ島はロマンの島として全国に知られることとなり、憧れを抱いた若い男女が大勢来訪した。附曲した作曲家としては梁田の他に山田耕作(1923年)、橋本國彦(1928年)がいる。また、1950年と1959年には同名の映画も作られた。

歴史

三浦水軍・北条水軍

鎌倉時代、三浦半島一帯は三浦氏の支配下にあり、城ヶ島はその水軍(三浦水軍)の本拠地であった。
戦国時代、三浦氏は一度は滅亡するも相模三浦氏として再興していたが、1516年に北条早雲によって新井城、三崎城が落城、滅亡した。この時、亀崎、鈴木、下里、三富、出口を名乗る者を中心とする残党が城ヶ島に立て篭もって抵抗した。彼らは三崎の船を全て城ヶ島に持ち去ったため、責めあぐねた早雲は建長寺、円覚寺の両和尚に調停を頼んでようやく講和したという(『北条五代記』)。この残党は「三崎十人衆」と呼ばれ(『小田原衆所領役帳』)、北条氏の下で里見水軍の侵攻をよく防いだとされる。彼らの苗字は現在も三崎に残っている。
北条氏の支配下では、梶原景宗率いる北条水軍が房総半島の安房里見氏と対峙した。里見水軍はしばしば城ヶ島周辺を来襲していたが、1562年に城ヶ島に上陸すると、北条軍は三崎城に陣を構えて海戦となった(三崎三浦海戦)。現在、島にこれらの遺構は残っていないが、城ヶ島から三崎を望んだ際に見える高台が三崎城跡である。(ウィキペディアより抜粋)

 

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ライター紹介

natty

natty

私は、旅大好き・冒険大好きな超アクティブおばちゃんです。
「発見・出会い・刺激」を求めて、全国どこにでも飛んで行きます。
基本はきままな一人旅。時には旅友と一緒に女子旅に出かけたり。
旅に出る方も、また、なかなか出かけられない方も、このブログで一緒に旅を楽しんでいただけたら嬉しいです。

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